「ドパガキ」は、退勤後に仕事の不安をぐるぐる反芻しやすくなる——【転機となったのは】
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仕事のことなんて一秒も考えたくない。
そう思いながら帰りの電車に乗り込むのだが、結局、今日の仕事のことをぐるぐると私は考え込んでいた。
働くことは、とても怖いことである。なぜならそこには、自分ではコントロールしきれない不確実性が潜んでいるからだ。
他人の感情、正解のない判断、予期せぬトラブル。社会に出て働くということは、そうした制御不能な不確実性の渦の中に、自分を投げ込み続ける作業にほかならない。こんなの、心身ともに疲れるに決まっている。
だからこそ、仕事を終えオフィスを出た瞬間、我々は全てから解放され、自分の時間を過ごすべきだ。
たとえば趣味に没頭する。美味しいものを食べに行く。映画を見る。散歩をする。友人とくだらない話をする——何をしたっていい。退勤後は、自由なのだから。
しかし、私の頭の中から「仕事」が抜けていかなかった。それは、意識の高い、成長を目指すものではない。
「あのとき、ああ言えばよかった」「あの対応はまずかったかもしれない」と、その日の出来事を何度も振り返る、終わらない「一人反省会」が始まる。
そこでの不安を紛らわせようと、私はスマホでショート動画を延々と見始めてしまった。ごはんを食べているときも、風呂に入るときも、トイレで用を足すときも、ベッドに横になったときも、とにかくスマホの画面を見続けた。
私はいわゆる、「ドパガキ」だった。
次から次へと流れてくる刺激的な映像に意識を委ねれば、束の間、仕事のことを忘れられる気がする。ただこれが、さらに状況を悪くした。
ショート動画は、不安を「処理」する時間を与えてくれない。次々と切り替わる断片的な刺激は、脳を軽い興奮状態、反応のループに留め置いたままにする。
本来、不安や緊張から回復するには、心拍や神経が少しずつ鎮まっていく「静けさの時間」が必要だ。
しかしショート動画はその真逆で、絶え間ない刺激によって神経を昂らせ続け、体は「もう休んでいい」というサインを受け取れないまま、次の刺激を求め続けてしまう。
◾️転機となったのは
この終わりのない自己消耗から抜け出すのは容易ではないだろう。
私自身も、長いあいだこの苦しさから抜け出せずにいた。「気にしないようにする」、なんてことでは到底太刀打ちできない。
脳内で勝手に始まってしまう「一人反省会」を止め、頭をきっぱりオフモードにする。そのためのきっかけとなったのが『ブレインダンプ』という方法だ。
ブレインダンプ(Brain Dump)とは、直訳すると「脳の中身をすべて吐き出す」こと。
やり方は拍子抜けするほど簡単で、ノートとペンを用意し、今頭の中にぐるぐる回っている不安や後悔、明日やるべきタスク、誰にも言えない愚痴まで、一切の推敲を挟まずにそのまま紙に書き殴るだけだ。
私はこれを、退勤後におこなっていた。
このブレインダンプを続けていくうちに、気づけたことが三つある。
一つ目は、紙の上に並んだ「不安」や「後悔」を、少し離れたところから眺めたときのこと。
そこに書かれていたもののほとんどが、現実的には起こり得ないレベルの完璧さを、自分が自分に強いていた結果なのだと知った。
「ミスは絶対に許されない」「全員から評価されなければならない」——これらは、生身の人間に課すにはあまりに過酷な基準だった。誰も、そんな完璧な働き方などしていない。なのに私の脳内では、それが「できて当たり前のこと」として設定されていた。
つまり私の頭の中は、達成できるはずもない期待で埋め尽くされた、非現実的な場所だったのだ。
紙に書き出さなければ、私はきっと今も、頭の中の「できて当たり前」に押しつぶされていただろう。
二つ目に気づいたのは、自分の思考の「手綱」を、いつの間にか自分以外の人に握らせていたことだ。
ショート動画を次々と眺めていた頃の私は、外部からの刺激に脳の反応を乗っ取られているような、完全な受動状態の中にいた。
けれど、紙に向かいペンを動かす時間は違う。乱暴でも、拙くてもいい。自分の手で「言葉」を選び取っていく作業は、流されていた日常から主動性を引き戻す儀式のようなものだった。
三つ目は、
「感情を吐き出す」こと以上に、「感情に終わりを与える」ことが大切だということ。
これが最も重要な気づきだった。
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