好文集ChatGPT Plus¥119

「虐待はなかったのに生きづらい」——適応障害を繰り返す人の家庭に【不足していたもの】

文章目录

殴られたことはない。

ご飯は毎日出てきた。学校にも行かせてもらえたし、誕生日にはケーキもあった。人に話せば「いい家庭で育ったんだね」と言われるだろうし、自分でもそう思う。

それなのに、ずっと世界を分厚いガラス越しに見ている感じがする。

◾️よく育ててもらったのに生きづらい

近頃、読者の方から何通かのメッセージをいただいた。

どれも丁寧に言葉を選んで書かれたものだった。送ってくださった方たちの、年齢も暮らす場所も異なる背景が見える。それなのに、読み進めるにつれてどこか近い場所を巡っているような気になった。違う言葉で綴られているはずの苦しみが、不思議とひとつの輪郭を持ちながら積み重なっていく。

個人が特定されないよう、表現を一部変えながら、いくつかのメッセージの要点を紹介させてほしい。

親には感謝しています。不自由なく育ててもらいました。周りからは仲のいい家族だと言われます。だからこそ、自分がなぜこんなに生きづらいのか、誰にも説明できません。

いっそ、はっきりとした暴力や貧しさがあったほうが楽だったのかもしれない、と思ってしまうことがあります。そうすれば周りもわかってくれたし、自分も親を恨めた。恨みきれないから、いつまでも抜け出せない気がします。

衣食住はちゃんとありました。でも、何かが抜け落ちている感覚が大人になってもずっとあるんです。両親と話しても、安心できない。子どもの頃の記憶も、あまりないんです。

どのメッセージにも、はっきりとした「事件」は書かれていなかった。暴力を振るわれた話も、見捨てられた話もない。

あるのは、何もされていないのに苦しい、という言葉にしづらい感覚と、その苦しさを持つこと自体への申し訳なさだった。

そして、そのほとんどが、同じ言葉で締めくくられていた。

「こんなことで悩むのは、甘えかもしれませんが」

その一文を読むたびに、私は考え込んでしまった。

なぜなら、私にも覚えがあったからだ。

私の家も、外から見れば「ちゃんとした家」だったと思う。暮らしは楽ではなかったけれど、食べるものにはありつけたし、着る服もあった。親に手を上げられたこともない。

ただ、あの家にはいつも「親にとっての正しさ」があって、私の気持ちはその正しさの前で、居場所を持てなかった。大人になっても、自分の感情がどこか迷子になっている感覚が抜けない。

◾️自分はネグレクトされていない感覚、だけど..

以前、私がカウンセリングを受けていたときのことだ。

子どもの頃の話をぽつりぽつりとしていた私に、カウンセラーさんは言葉をそっと差し出してくれた。

「あなたは、“情緒的ネグレクト”の背景があるようね」——

聞きなれない言葉だった。

とりわけ「ネグレクト」(育児放棄の意)という響きに、私は少したじろいだ。

私の両親は毎晩のように喧嘩をしていた。家の中はいつも張りつめていて、苦しい家庭だったことは間違いない。

それでも、ネグレクトとは違う、と思った。

両親には両親の事情があった。我を失う理由もあった。何より両親は、それでも懸命に私を育ててくれた。その感覚だけは、どうしても手放せなかった。

だから、とっさに言葉が出かかった。

「いえ、うちの親はそんなんじゃなくて」

けれど、あとになって気づいたことがある。

自分の苦しさに初めて名前をつけてもらったその瞬間に、まず私がしたのは、自分の気持ちを見つめることではなかった。

親をかばうことだった。

思えば、ずっとそうだったのかもしれない。

◾️感情の居場所がなかった家

戸惑う私に、カウンセラーさんは『情緒的ネグレクト』の意味を、ひとつずつ丁寧に教えてくれた。

「ネグレクト」とは、育児放棄や無視、怠慢のこと。「情緒」とは、気持ちや感情のこと。

つまり**『情緒的ネグレクト』とは、感情の無視、感情の軽視のことなのだと。「見えない虐待」**とも呼ばれているそうだ。

「ご飯や住む場所がちゃんと用意されていても、“気持ちを受け止めてもらえなかった”のなら、それもひとつのネグレクトなんですよ」

その説明を聞きながら、私の頭には、あの家の光景がいくつも浮かんでいた。

衣食住は用意されていた。けれど、感情だけが家の中で居場所を持てなかった。涙がこぼれそうになれば「泣いて何が変わるんだ」と言われ、苦しいことがあっても「我慢しなさい」「大したことじゃない」と返される。嬉しかったことを話しても、どこか上の空で流される。

今おもえば、“感情を受け取ってもらった経験”が、私の中でとても不足していた。

カウンセラーさんとの話の中で、情緒的ネグレクトの影響は、大人になってからの生きづらさにもつながるのだと知った。自己肯定感の低さや、人間関係で周囲に合わせすぎてしまう傾向が、適応障害のリスクにも関わるという。

ではこの苦しさを抱えた人は、これからどうすればいいのか。

まず気づくべきは、

あの家で受けてきたことを、今、そのまま自分自身にしているという事実である。

** ** 感情の無視。感情の軽視。親から受け取ったその形をまるごと写し取って、今度は自分が、自分の親をやってしまっている。

私たちの課題は、「心が弱いこと」ではなく、「壊れるまで自分のしんどさに気づけないこと」にある。

→【続きはnote記事】『情緒的ネグレクト』を受けたあなたが今、すこやかな働きと、人との関わりを改めて育む具体的な方法

全文完
查看原文