適応障害の頃、聞けてよかった言葉は「頑張らなくていいんだよ」ではなかった
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物心ついた頃から、私の世界は「こうあらねばならない」という見えない枠組みで できていたように思う。
幼少期、親から求められていたのは、いつも「完璧」であることだった。
周囲の期待に応えるように、私はルールを違えず守り、絵に描いたような「真面目で責任感のある子」として育った。
大人になり、私は社会に出てからも「完璧」「100点」「こうあるべき自分」を守ろうとした。それをまっとうするのが「普通」だと思っていた。
しかしながら、社会は、学校のときのようにいかなかった。
学校のテストには明確な答えと採点基準があったが、社会にはそれがない。それなのに私は、仕事でも人間関係でも、常に満点の正解を探し、周りの期待に応えようと必死になっていた。
次第に心配事が増え、眠りが浅くなった。誰かの些細な一言が心から抜けなくなり、笑うことに力がいるようになった。それでも「頑張れば大丈夫」と思っていた。
「完璧な自分でなければならない」 「誰にも迷惑をかけてはならない」——気づけば、実体のない100点に追われ続けた末に、私は適応障害になった。
◾️考え方が変わったきっかけ
「頑張らなくていいんだよ」
適応障害になり、主治医からそんな言葉をかけてもらったことがある。けれど、そのたびに胸の奥がひっそりと苦しくなっていた。
頑張らなくていい、という言葉の意味はわかる。
休んでいい、無理しなくていいということだ。
でも「頑張る」を手放すことへの恐怖が大きすぎて、その言葉はやさしさのまま宙に浮いて、うまく私まで届いてくれなかった。
頑張らなかったら、私は生きていけなくなる——その恐怖が脳裏にこびりついていたから。
頑張らなければ働けなくなる。頑張らなければ回復もしない。ただ休んでいるだけで、何か現実が改善されていくなんて思えなかった。
ただあるとき、違う言葉を知人からもらった。
それは、
「執着を手放していいんだよ」
——最初はよくわからなかった。でも不思議と、この言葉だけが体の中にすっと入ってきた。
「頑張らなくていい」は、結局どうしたらいいかわからず、私にとっては焦りを生む言葉だった。でも「執着を手放す」は、自分が何に縛られているかを見に行く言葉だった。
目を向けると見えてきたのは
「まともでいなければ」「普通に戻らなければ」という、自分の中に居座っていた基準だった。
ただ、執着は「手放そう」と決意しても、簡単には手放せなかった。幼少期から染み付いている。それができるなら、最初からきっと苦しんでいない。
大事だったのは、たった一つ。
執着の“先”を疑うこと。
まともに戻れば、幸せになれる。普通でいれば、安心できる——本当にそうだろうか。
立ち止まって考えてみると、気づく。
私が必死でしがみついていた「まとも」や「普通」は、誰かが用意した型でしかなかった。私の体には合っていないのに、それに合わせようとして、ますます傷ついていた。「こうあらねばならない」という考えは、私の意思ではなかったのだ。
親や教師に刷り込まれた「ちゃんとしなさい」という言葉。自分のものだと思っていた執着が、実は誰かから借りてきた言葉でできていた。
子どもの頃は、自分が持っている型を疑うことができなかった。
ただ、大人になって適応障害を患い、ようやく少しずつその型を疑い始めることができた。
今なら病院の先生が教えてくれた言葉も理解できる。
「頑張らなくていいんだよ」——
この言葉の意味は、頑張ることをやめるのではなく、誰かの型に合わせることをやめる、ということ。それが、日々をすこやかに生きるための、最初の一歩となる。



