人生の全盛期はこれからつくれる
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あの有名な大波の絵を北斎が生み出したのは70代だった。
人生の代表作は若いうちに完成させなくていい。
「もっと早く始めていれば」と思っている人にこそ知ってほしい話がある。
仕事も趣味も生き方も、今の自分が完成形とは限らない。
まだ出会っていない楽しみやこれから好きになる自分があっていい。
北斎の歩みをたどりながら、自分の未来を今の評価だけで決めない見方を考えてみたい。
あの大波には長い前半があった
葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」
大きくせり上がる波とその向こうに小さく見える富士山。作品名を知らなくても、絵を見れば分かる人はいるだろう。
すみだ北斎美術館では1831年頃の作品と紹介されている。 1760年生まれの北斎が70代に描いた絵だ。
ただ、70代まで何もしていなかった人が突然才能に目覚めたわけではない。
その前にも長い画家人生があった。
同館の生涯紹介をたどると、若い頃は役者絵や本の挿絵を描き、のちに絵を学ぶ人のための絵手本も手がけている。1814年には『北斎漫画』の初編が出ていた。
僕たちが今よく知っている大波はその後に生まれた作品になる。
完成した人生を振り返ると、代表作までの道のりは短く見える。
年表なら数行で読めてしまうし、作品を並べれば順番も分かる。
でも生きている本人には、未来の年表は渡されていない。
今やっていることが何につながるか。
あとから何を代表作と呼ばれるか。
その答えを知らないまま日々を過ごしている。
未来が見えていないのは僕たちも同じだ。
今の仕事がしっくりこない。
興味のあることはあるけれど、まだ人に見せられるほどではない。
これといって誇れる結果が浮かばない。
そんな時期があっても、今見えている部分だけで人生全体の評価を決める必要はない。
北斎に長い前半があったように自分にもまだ続きがある。
もちろん同じ道を歩くわけではない。
それでも「代表作が出るのは若いうち」と決める理由は、 あの大波を知る前より少なくなる。
ここまでの自分は知っている。
でも、ここからの自分まで全部知っているわけではない。
75歳の北斎はもっと先を見ていた
大波の絵を残した北斎は、その後どう考えていたのか。
1834年に刊行された『富嶽百景』初編の巻末には、 北斎自身が画家としての歩みを振り返った文章がある。
島根県立美術館が紹介しているその文章には、75歳の北斎が思い描く将来が記されている。年齢は当時の数え年だ。
内容をたどると、80歳でさらに進み、90歳では絵の奥深いところまで究めたいという見通しがある。期待は100歳の先にまで続いている。
僕がここで惹かれるのは、すでに代表作を残している人がその先の自分にも期待していることだ。
今の自分が到達点でもその先に何かあっていい。
長く続けてきたことにも、まだ知らない面白さが残っていていい。
北斎の言葉を今の自分を厳しく追い込むために借りたくはない。
「75歳でも頑張った人がいるのだから、もっと努力しろ」と受け取ったら、読んだあとに荷物が増えてしまう。
僕はむしろ、未来の自分を楽しみにしていいという話として読みたい。
たとえば今は仕事と家のことで手いっぱいでも、いずれ好きなことをゆっくり学べる時期が来るかもしれない。
以前は分からなかった本の面白さに気づいたり、昔なら選ばなかった場所を旅したくなったりすることもあるだろう。
若い頃と同じ楽しみ方をできるかどうかだけで、 その先の価値を決めなくていい。
北斎の巻末の文章を読みながら、僕は「将来の自分に何を期待するか」という問いを持ち帰りたくなった。
今よりすごい肩書を持つことだけが答えではない。
今より好きな仕事をしている。
気の合う人と過ごしている。
自分の好きなものを遠慮せず楽しんでいる。
そんな未来を思い描くことまで、年齢や過去の結果に許可を求めなくていい。
遠回りしてきた自分にも使えるものがある
ここまで読んで「でも北斎は天才だから」と感じる人もいると思う。
確かに北斎の生涯は、自分も同じように成功するという証明にはならない。
ただ、その違いを理由に、自分のこれまでを全部つまらない時間にする必要もない。
遠回りしてきた人には、遠回りしてきた人の見えるものがある。
たとえば職場が何度か変わったなら、同じ仕事でも会社によって進め方が違うことを知っているかもしれない。
ある場所では当たり前だったやり方が、 別の場所では喜ばれることもある。
仕事で使う技術だけではなく、説明の順番や人との距離の取り方にも経験は表れる。
新しい職場の人が戸惑っていたら、過去に自分が困った点を思い出せる。 その記憶から相手に伝えられる話が生まれる。
途中までしか続かなかった趣味にも、 あとから使えるものがあるかもしれない。
写真を撮っていた時期があれば、何かを紹介するときに見せ方を考えられる。文章を書いていた時期があれば、写真に自分の言葉を添えられる。
どちらかだけで突出していなくても、 合わせれば自分らしい表現になることはある。
苦しかった経験まで無理に美談へ変える必要はない。
あの時間があってよかったと、 今すぐ言えなくてもいい。
それでも、そこで知った「自分には合わない働き方」や 「もう我慢したくないこと」は次の選択に使える。
合わなかった理由が分かれば、別の条件を探せる。
やり直すときに、過去の自分を丸ごと置いていくわけではない。
好きになったものも、身についたことも、 もう選びたくないものも一緒に持っていける。
今から何かを始める自分は、その分野では初心者でも、 何も経験していない人ではない。
過去を眺めるときに「何を成し遂げたか」しか聞かなければ、 見落とすものがある。
「何が分かるようになったか」「何を好きだと知ったか」まで見れば、 次に使ってみたいものが見つかるかもしれない。
まだ目立つ結果になっていないことと、 使えるものが何もないことは別だ。
全盛期の中身は自分で決めていい
人生の全盛期と聞くと、収入が最も多かった頃や人から注目された時期を思い浮かべるかもしれない。
お金にも時間にも余裕がある暮らしを望むのは自然なことだし、 その願いを小さくする必要もない。
ただ、自分が欲しい豊かさを他人の写真だけで決めなくていい。
たとえば収入を増やしたい理由が、 毎日遅くまで働かずに暮らしたいからだとする。
それなら収入の額だけでなく、どんな時間の使い方ができているかも望む人生に近づいているかを考える目安になる。
気になる店で値段ばかり見ずに食事を選べる。
会いたい人に会いに行く時間がある。
好きなことに使ったお金をあとからずっと後悔せずに済む。
そういう暮らしが欲しいなら、 そこに近づくことを自分の楽しみにしていい。
北斎が残したのは作品だった。
でも僕たちがこれからつくるものは、絵でなくてもいい。
無理を続けずに働ける仕事かもしれないし、 何年たっても飽きない趣味かもしれない。
自分の考えを出せる場所や気を張らずに笑える人との時間かもしれない。
人に自慢できるかどうかより、 その暮らしをしている自分になりたいか。
自分の望む暮らしから全盛期を考えると、 これから欲しいものが少しはっきりしてくる。
以前より肩の力が抜けている。
会いたい人や行きたい場所がある。
自分で決めたことに時間を使えている。
そんな時期を迎えたときに「今がいちばん好きだ」と言えたら、 それは十分にうれしい人生だと思う。
そして、その時期が過ぎたらすべて終わりというわけでもない。
新しく好きになるものがあれば、楽しみ方はまた変えられる。
全盛期を生涯に1度だけのものとして急いで使い切る必要はない。
未来の自分を楽しみにしていい
北斎の大波を見るとき、完成した作品だけでなく、 その後にも続いていた時間を思い出したい。
あの絵を描いたところで、北斎の将来への期待が終わったわけではなかった。
75歳の言葉にはその先に進む自分がいる。
僕たちも今の自分を未来を決める最終回答にしなくていい。
最近うまくいっていなくても、昔の選択を悔やんでいても、 今日の興味までなくなるわけではない。
気になっている本がある。 行ってみたい場所がある。 話を聞いてみたい人がいる。
その気持ちをこれからの予定に入れてみる。
新しく始めたことがすぐ仕事や収入につながるかは分からない。
でも「自分はこれから何を楽しみにできるだろう」と考える時間まで、 成功した人だけのものにしなくていい。
もし今「もう遅い」と感じていることがあるなら、 やりたかったことを思い出してみてほしい。
続けられるか、上手くなれるか、人にどう見られるか。 その答えを出す前にまず自分が何に惹かれていたのかを。
たとえば絵を描きたかったなら、好きな作品を見に行くところからでもいい。
何かを発信したかったなら、これまで自分が面白いと思ったことを1つ書いてみてもいい。
人生を全部変える決意がなくても、 自分のしたいことを1つ戻すことは考えられる。
始めた先にどんな楽しみが広がるかはまだ決まっていない。
過去の自分を誇れるのは素敵なことだ。
同じくらい、未来の自分を楽しみにできるのも素敵だと思う。
「あの頃はよかった」と思える日々があるなら、 これから「今も悪くない」と思える日々を加えていきたい。
まだそんな時期を思い浮かべられないなら、 これから好きになる暮らしを探していい。
あなたの人生には、まだ読んでいない続きがある。
その続きに自分がいちばん好きな時期があっていい。



