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『早く大きくなってお母さんを殺してやる』という娘と15年過ごした記録

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15年前。4歳になったばかりの小さな小さな女の子と児童相談所の面会室で会った。私と目を合わす事も出来ず、微動だにせず、そこにいた。

「ミクちゃん。はじめまして。」

私はありったけの優しさを込めて、声をかけた。


34歳の春。私は不妊治療をしていました。

生まれながらに内部障がい児として生まれた私は中学生の時に「子どもは産めない」という事を告知されていたのですが、医学の発展は素晴らしいもので不妊治療専門クリニックでは子どもが出来る可能性がありました。

何もせずに諦めるよりもトライしてみよう。

そう思い、不妊治療のドアを叩きました。しかし、何度か体外受精を繰り返している中で体調を崩し入院してしまいました。その後しばらくは治療も休養になってしまって、毎日泣き暮れた時期がありました。

![图片](/media/2113558585804464128/3c9cede4c66c2017f747.jpg)

大阪市内のイオンモールでボランティア



そんな時、気分転換にと大阪市のボランティアに誘われました。行ってみると「さとおやになりませんか?」というチラシを街頭で配るボランティア活動だという。里親制度の啓発活動でした。

活動しながら知る現実は「(当時)子どもは36,000人養護されています」「親権者はいるので養子縁組は出来ません」という事だった。

えっ?児童養護施設にいる子ども達は “孤児” じゃないの?親はいるけれど子どもは保護されて帰せない子どもばかりだと聞かされました。



### **血にこだわるか、籍にこだわるか**

それなら、、、

私は【我が子】が欲しいという思いでお金も時間も使っているけれど。。。血に拘らなくてもいいんじゃないか?そんな思いがこの時のボランティアから沸々と沸き起こってきました。

夫と夫の両親や私の母たちとも話し合い結局は養子縁組として戸籍に入れるのではなく、親権は実親が持っているので育てるだけの家庭として登録しました。

「ミクちゃん。はじめまして。」

ミクちゃんと初めて会った時、身体はやせ細り頭蓋骨も浮き出ていて4歳なのに2歳半の体格でした。

そこに至る理由は子どもの個人情報を守るために書けませんが、長期に渡って私が育てていく事を前提に話がありました。

小さな小さな、今にも生命ごと吹き飛んでいってしまいそうな女の子が私と夫に託されました。県から委託されたミクちゃんとの暮らしは

「いつ終わるか分からない子育て」の始まりでした。

最初は私の顔色ばかり見て、目を合わせようとしませんでした。身体と言葉も発達が遅れていて会話があまり出来ない子でした。

それでも安心したゆっくりとした時間を暮らしていくうちに身体も心もみるみる回復してきていました。でも、、、5歳のとき

「大きくなったらお母さんを殺してやる」

と言うようになっていた。

恨みつらみだけがこの子の生きる原動力になっていました。

私は『そんな風に思っていたら、あなたの心はずっとつかまってしまうよ。もし仕返ししたいと思うならば1番の仕返しは、親は関係なくあなたが勝手に幸せになる事だよ』 そう伝えました。何度も何度も。笑い飛ばしてあげたかった。

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出来るならば、仕返したいという思いから解き放たれて欲しいと思っていました。ミクちゃんには誰かに振り回される人生じゃなく、親がどうであれ自分の人生を楽しんで欲しかったんです。

そこから丁寧に丁寧に関わる事で、ミクちゃんは徐々に落ち着いて生活出来るようになっていきました。 「お母さんを殺してやる」なんで物騒な事は徐々に言わなくなり、笑顔が増えてきました。

それから数年後、休日にホットケーキを焼いて「美味しいねぇ^^」と食べていた時「お母さん(実母)にありがとうって言いたい!」とニコニコしながら言い出した。「どうしたの?」と聞くと

『だって、こんなに幸せなのはお母さんが産んでくれたからだもん!』

そう言ってホットケーキを口いっぱいに頬張る姿に喉の奥から熱いものがこみ上げてきて涙を堪えられなかった。

「ママ、どうしたの?」と戸惑う娘に

「ママ、なんだか嬉しくって泣いちゃった!^^えへへ。知ってる?悔しい涙はしょっぱくて、嬉しい涙はしょっぱくないんだってー!」

私がそう言うと娘は少しはにかみ、黙々とホットケーキを食べ続けた。

お母さん=実母

ママ=私

そう使い分けている事にも自分で受け止め始めているんだなと感じた。

そして彼女が過去を許し、今を生きようとしている。

その日の夜に寝顔を見ていたら

小さな身体で頑張っているんだなーーーーと思うと

愛おしさがこみ上げた。

頭を撫でながら見つけているとミクちゃんが抱き着いてきたので

そのまま抱き寄せて眠りについた。

雨降って地固まる

小学4年生のある日 、塾に行っていなかった事が発覚した。

最近は小学3年生くらいからお受験対策で進学塾に行く子が増えている。私はそんなに早く勉強漬けするよりも、子どもの時にしか出来ない "時間の無駄使い" というか、目的なく興味・探求心で遊ぶという大切な時間、子どもの時にしか経験できない時間を重視したかったので、塾は考えていませんでした。

同級生の半分が塾に行っている状況になると、娘の方から「私も行きたい」と言うようになった。何度か「もう少しじっくり考えてみよう?」と説得してみたけれど「サキちゃんと同じ塾に行きたい」と、とある個別指導塾をリクエストしてきた。

体験にも行ってみて、それでも行きたいと言うのでそんなに行きたいなら折角意欲を出しているのを折るのも違うし、同意して通わせた塾だった。

同級生のお母さんが、「この時間って家の子と同じ塾じゃなかった?娘さん、お友達と歩いていたよ?」と電話してくれて発覚。

暫くしてミクちゃんが帰宅。「ただいまー!あー疲れた!」とまるで勉強頑張ってきたかのように平然と帰ってきた娘。

「そりゃぁ塾に行かないで遊んでいたら疲れるよねー?」と、私はもう全部わかっていますよー!の顔をしてサラッと言ってみたら

「え、、、、、」と固まる娘。どんどんバツの悪そうな顔になっていった。本当はめちゃくちゃ堰を切ったように問い詰めたかったけど、それでは娘を追い詰めるので感情を抑えて出来るだけゆっくり聞いてみた。

私:「どうしたんーー?行きたいって言って始めた塾だったんじゃない?」

娘:「、、、、、。」

私:「いつから?何回かあったーー?」

娘:「うん、、、」

私:「ママ全然分らんかったわーー。。。ママ失格だわ。泣」

娘:「違うよ、ママ悪くないよ!私が隠すの上手だっただけだよ!」

私:「(それもどうなん?笑と思いながら)ミクちゃんの気持ち分らんかったママが悪いんよ。。。」

娘:「ママは分かってくれてるよ!悪いのは私だよ!自分から行きたいって言ったのに、勉強難しくて解らんくて、行きたくなくなって。でも言えなかったから。。。」

私:「そうだったんやねー。サボって、どこかで怪我しなくて良かった。心配しちゃうからさ、それなら話合っていこうよ、ネ!ママには格好悪い話もしてよ!笑」

『怪我しなくて良かった』の言葉を聞いた時、娘は明らかに表情がハッとした。きっと怒られると思っていたのだろうけど、私は素直に心配だったことを本音で伝えたから。

娘:「うん、、、心配かけてごめんね。」

私:「うん、これからは一緒に相談しよネ!」

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休日のフラワーパークで微笑み合う娘と私

この日を境に、娘は比較的なんでも私に話してくれるようになり、正に雨降って地固まると言った出来事でした。

『そろそろ血が繋がっている』

5年生の後半、今までにない「揺れ」があった。急に自分の気持ちや意見を言わなくなってしまった。

彼女の中で何が起きているんだろう?人が変わったように何も言わなくなってしまったので不安で心配でたまらなかった。この時期全然コミュニケーションが上手くいっていなかった。"喋らない" というのは反抗的よりも何とも改善に持って行けないと知った。何か文句を言ってくれている内は話し合えるけれど、何も言ってくれないとどうしようもない。

ある日、彼女の小さな嘘がバレた。そんな事、嘘つかなくてもいいのに、というような些細な嘘。

「あのね、ママ、ミクちゃんのお顔を見ていると、違うんじゃないかなー?って思うんだけど、、?つい嘘ついちゃった?」と聞くと

娘は「あー!ママには嘘つけないなぁ。バレちゃうね!やっぱり血が繋がっているだけあるね」と言うので

(えっ?!急にどうしちゃったの?過去と現実、希望が織り交ざってそう思いたくなっちゃった?これ、、、どう返事しよう、、、)

と内心はオロオロしながら「ミクちゃん?どうしたーー?血が繋がってるー?」

と聞くと

娘はニコーーーッとして

『そろそろママと血が繋がっていると思うヨ!』

そう言って私の手をギュッと握ってきた。

最近、コミュニケーションがギクシャクしているのが不安で不安でたまらなかったので『そろそろママと血が繋がっていると思う』と言われて 嬉しさで堰を切ったように泣いてしまいました。

でも「そろそろ」繋がるって発想が面白いなぁと微笑ましく、思わず泣きながら笑ってしまい、それを見て娘も笑って、2人で笑い合った日でした。

ゆっくりだけど順調に穏やかな時間が流れていきました。

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私の故郷、仙台への旅行でダムを始めてみた時

私の故郷、仙台への旅行でダムを始めてみた時

日々はワンコとの散歩、そして夫の実家に行ったり

私の母との食事など、普通の家族と同じような日々を

ゆっくり、ゆっくり。暮らしてきました。

【1人でも多くを支えたい】

何故子どもには「家庭」が必要なのか。

誰かが一緒に暮らせば良いというものではない。

衣食住の提供があれば良いわけじゃない。

子どもには自分だけを見てくれる存在

"この人" だけは自分を守ってくれる

という "この人" が人を強くする。

親心を持つ大人が子どもに寄り添いどう守っていくのか。

保護されてくる7割近い子ども達が何らかの虐待を受けている

もしくは不適切な環境で養育されている背景を持つので

生活習慣が出来ておらず心のケア、身体のケアも必要とする子が多い。

なにより『大人を信頼できない』状態で暮らしがスタートするので

まずは時間をかけて信頼関係から構築しなければならない。

しかしそれが何より難しい。

おやつをあげて、頭を撫でて、ちょっと褒めて

はい、信頼します! なんて事にはならない。

一瞬で信頼を作る魔法が無い。

これは時間を要するものであり積み上げていくものなので

半年~1年程度かかる。

本来、妊娠期間を経て親子関係を構築していく時には

ミルクをあげて、オムツを替えて、話しかけていく

また泣き出すと「ミルクかな?オムツかな?」と

子どもが何を要求しているのかを考え甲斐甲斐しく世話をする。

それの繰り返しによって赤ちゃんは安心と安全、信頼を獲得していく。

その時期に安心も安全も信頼も獲得していない子どもは

愛着が形成されていない状態。

『愛着形成』これまでそんな言葉聞いたことが無かったけれど

いまは切っても切れない言葉だ。

私は愛着を再形成する事が役割だと思っています。

それには時間がかかる。

私一人では何人も救えないと思い団体を設立したのが16年前。

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2016年、ONELOVE全国一斉里親制度啓発キャンペーンをスタート

16年経ったいまでも同じ気持ちです。 いや、前より強いかも知れない。

最初は命を救いたいという思いが強かったけれど活動していくうちに知ったのは「命は助かっても人生を失っている子ども達が圧倒的に多い」という事でした。

死にたい、死にたい、といって生きなければならない子どもが多すぎる。

人生も支えたいと思うようになりました。

いま生まれてくる子どもが50歳になった時

「生まれてきて良かった」と思える人生であって欲しい。

その一点に私の人生をかけて生きます。

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虐待を受けた1人の保護児童に対し、夫婦2人がケア養育する事により、人生を取り戻していきます。

この家庭をリクルートするには 約38万円/世帯 程度がかかります。

1日も早く子どもが家庭で暮らせるようにご寄付で支えていただけましたら嬉しいです。

どうかお力を貸してください。

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