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「チョロいのに舐められない人」は、何が違うのかーー心を開くことと、自分を明け渡すことは違う

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世の中には、チョロいのに舐められない人がいる。 褒められればすぐ喜ぶ。 好意を向けられれば嬉しそうにする。 気が合えば、あっという間に仲良くなる。 「会いたかった」と言われれば「私も」と返す。 好きな人には、わりと簡単に好きだと言う。 駆け引きらしい駆け引きもしない。 傍から見ると、かなりチョロい。なのに、不思議と雑に扱われない。

逆に、ものすごくガードが堅いのに、なぜか人につけいられやすい人もいる。 人を簡単には信用しない。 好意を向けられても、まず疑う。 心を開くまでに時間がかかる。 一見すると、こちらのほうがずっと「自分を守れている」ように見える。 でも、一度懐に入られると妙に弱い。 嫌なことをされても我慢する。 関係を壊したくなくて自分の要求が言えない。 「この人にも事情があるから」と、自分の違和感を引っ込める。

この違いは何なんだろう。 考えてみると、私たちは「ガード」という言葉で、まったく別の二つの能力を一緒にしているのかもしれない。 心を開くかどうかと、自分の境界線を守れるかどうかは、別の話なのだ。

「心を開く速さ」と「境界線の強さ」は別軸である

人を簡単に信用する人は騙されやすい。ガードが堅い人は騙されにくい。なんとなく、そう考えてしまう。 でも実際には、「好意を受け入れること」と「侵害を受け入れること」はまったく別なのだ。

チョロいのに舐められない人は、好意へのガードが低い。 褒められれば喜ぶ。誘われれば喜ぶ。親切にされれば喜ぶ。誰かから好かれていると分かれば、それを疑って値踏みするより、まず受け取る。 でも、失礼なことを言われた、約束を何度も破られた、嫌だと言ったことを繰り返された、自分の時間や身体や感情を当然のように扱われた。そういうときには「それは嫌だよ」が普通に出てくる。そして、必要なら離れる。 つまり、好意へのガードは低いが、侵害へのガードは高い。 この二つは両立する。むしろ、この二つを分離できている人こそ、かなり強いのではないかと思う。

「好き」と「従う」を混ぜない

チョロいのに舐められない人には、もう一つ特徴がある。承認と服従が分離しているのだ。

誰かに好かれる。嬉しい。褒められる。嬉しい。親切にしてもらう。嬉しい。ここまでは、ものすごく素直だ。でも、「だから相手の要求を飲まなければならない」にはならない。

「あなたが好き」と「あなたの言うことを聞く」は、本来まったく別のことだ。ところが、この二つは意外と混ざりやすい。 こんなに優しくしてくれたんだから。こんなに自分を好きでいてくれるんだから。こんなに時間を使ってくれたんだから。少しくらい我慢しなきゃ。期待に応えなきゃ。嫌われないようにしなきゃ。

そうなると、好意が少しずつ債務に変わっていく。相手から好意を受け取ったことで、自分の中に「返済義務」が発生してしまう。 でも、チョロいのに舐められない人は、ここが軽い。「好きって言ってくれた。嬉しい!」で、一度きちんと終われる。 好意を受け取ったことによって、相手に自分を支配する権利が発生するとは考えない。 だからこそ、好意を素直に受け取れる。

ガードが堅い人ほど、一度開けた門を閉められないことがある

逆に、ガードが堅い人が必ずしも境界線まで強いとは限らない。この人は信用できるのか。裏切られないか。本当に自分を大切にしてくれるのか。時間をかけて相手を審査する。そして、ようやく「この人なら大丈夫」と判断する。 ここまでは慎重だ。ところが、一度その判定を出してしまうと、その人に対する境界線まで一緒に解除してしまう。

「この人は信用できる人だから」という前提ができる。すると、少し嫌なことをされても、悪気はなかったんだろう、疲れていただけかもしれない、私が気にしすぎなのかもしれない、せっかくここまで関係を作ったんだから、と自分の違和感のほうを修正し始める。 入り口の審査は厳しかった。でも、いったん入場許可を出した人にはフリーパスを渡してしまう。 そう考えると、ガードの高さと境界線の強さは、本当に別物なのだ。

本当に強い人は「門が低くて、柵がある」

人間関係の防御には、少なくとも二種類ある。 一つは、「そもそも人を入れない」防御。 もう一つは、「人を入れても、自分の領域は自分で決める」防御。

前者は門を高くする。後者は境界線を明確にする。長期的に強いのは、後者のほうだ。 門そのものは低い。人とすぐ仲良くなる。好意を素直に受け取る。自分からも好意を返す。 でも、敷地の境界はちゃんと分かっている。ここまではいい。ここからは嫌。これはあなたが決めていい。これは私が決める。そんな区別がある。 だから、開放的なのに無防備ではない。

門は開いている。でも、土地の所有権まで渡しているわけではない。 ここからが面白い。もしかすると、本当に境界線が強い人ほど、心のガードを下げられるのではないか。 自分を守る方法を知っているからこそ、人を疑い続けなくてもいい。もしそうなら、「人を信用すること」と「自分を守ること」の関係は、私たちが考えているものとは逆なのかもしれない。

→続きはnote記事「『チョロいのに舐められない人』は、何が違うのかーー心を開くことと、自分を明け渡すことは違う」

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