「自己肯定の鬼」の育て方
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こんにちは、「自己肯定の鬼」です。 これは「自称」ではない。最近、奥様にリアルにそう呼ばれた。 我が家には「鬼」が4匹棲んでいる。私と三姉妹だ。奥様は呆れて鬼たちを見ている。 どうやってそんな自己肯定感を育むのか。
自己肯定感は「言霊7割 諦念3割」で成る
というのが私の見解である。
「お父さんはイケメンで天才だ!」
私は家庭内で「イケメンです!」「天才です!」と公言している。ほぼ毎日言ってると思う。 真偽は問題ではない。こんなのは言ったもの勝ちで、言うこと自体に意味がある。
天才だのイケメンだの、ガンガン言うようになったのは、長女が幼稚園に上がる前ぐらいからだった。その後、次女が生まれ、三女が生まれ、とオーディエンスは拡大の一途をたどるなかでもスタンスは一切ブレていない。
本気でそう思いこむほど私はアホではない。 「元」をつけてもオッサンのイケメン自称は痛い。中学生ぐらいで「自分は決して天才ではないな」と正確に認識して今日に至っている。育ちも悪いし、学もない。
幼い娘に「天才イケメン!」と言い続けたのは、完全にネタだった。案外ウケたので定番になり、ずっと引っ張っている。現時点では娘たちにちょっとウザがられている。 このアホな話には思わぬ効果があった。 娘に伝染したのである。
「ほめたら?」「なぜ?」「すごいので」
プライバシー保護のため、以下、娘の名前を「桜子(仮名)」とする。『帯ギュ』のファンなので。
桜子は初めのうちは「お父さん、すごい!」「イケメン!」「天才!」と妄信して復唱していた。ちょろい。 だが、小学校のころから、 「桜子は天才!」 「すごいからほめたら?」 と父のマネをするようになった。 そんな我が子の言葉に、私はボケにボケを重ねるようにして、 「天才の娘だから天才なんだな!」 「きみがすごいのはお父さんがすごいからだな!」 と切り返し、時に頭なでなでして、時にはハグで祝福した。
娘の「天才」とか「すごい」の根拠は、ちょっと学校のテストが良かったとか、わりと上手に絵が描けたとか、そんな程度のものでしかなかった。 だから、娘の言葉も、父親の真似、ただのネタだったのだ。 完全なアホ親子だ。
だが、言霊とは恐ろしいものだ。 ネタのはずなのに、言い続けていると、自己肯定の言葉を発するハードルがめちゃくちゃ下がるのだ。
今でも、例えばソファに座っていると、長女がいきなりこんな感じで話しかけてくる。
「ほめたら?」
もう、メチャクチャである。エビデンスの提示が何もない。 「ほめてもいいよ?」という謎の上から目線発言のケースすらある。 その後、会話はたいていこんな流れになる。
「なぜ?」 「桜子はすごいから」 「ほう。何がすごいのかね?」 「とにかくすごいので!」 「俺の方がすごいぞ!」 「いいえ!桜子の方がすごいので!」
最後はお互い「すごいなぁ」と褒め合って痛み分けとなる。
こうした傾向は妹たちにもある程度伝染したようだ。我が家の子育てはいろいろとガバガバだが、自己肯定感については「鬼の群れ」がすくすく育っている。
自己肯定感不足については「親が子どもを褒めること」の重要性がよく指摘される。 私は、子どもを褒めると同時進行で「根拠がなくても、親自身が自画自賛の言葉を口にする」という能天気な方法を提案したい。 ポイントは「根拠がなくても」という全天候型の構えと「口にする」というコストゼロの習慣化だ。 特に後者。言霊の力は、侮れない。 やってると、親子ともども、わけもなく自己肯定感があがる。
仕上げは「諦念」
さて、ここまでで私見の7割を消化した。再掲するとこんな文言だった。
自己肯定感は「言霊7割・諦念3割」をもって成る
以前、浅生鴨さんがこんなことを書いていた。
そうやって他人を褒め続けていれば、いずれは今ここにいる自分こそが、自分そのものなのだと、ある種の諦めを持って受け入れられるようになるはずだ。自己肯定とは自分に自信を持つことだけではなく、できない自分を認めることでもあるのだから。そうして何かを諦めることでもあるのだから。
まさに、この通りだと思う。
高井家流を整理しておこう。 ① 「根拠なし・声出し」で自己肯定を習慣化 ② 言霊パワーで「自己肯定の鬼」コースに ③ 現実を知る ④ ギャップで自己肯定感がゆらぐ ⑤ 等身大の自分を知り、それを肯定する
早ければ思春期の早い時期。 人によっては社会人になって何年か経ってから。 とにかくいい歳になれば、よほどの天才か妄想家じゃない限り、多くの人が「自分はそう大した人間ではない」と自覚する。
これは、当たり前の前提でしかない。
でも、ここが「自己認識の入り口」だと、キツい。 自己評価、ひいては人生設計自体が「等身大以下」まで視線が下がってしまう恐れがある。 だから、勘違いでもいいから、言霊の力を借りて発射台は上げておいた方がいい。親子間で難しければ、パートナーとでも、友人同士でもいい。根拠もなく、「自分はすごい!」と言い合ってみよう。 発射台に余裕があれば、現実を知って着地点を探るときにも、墜落事故を起こさず、等身大の高度を保って自分を知り、等身大の自己肯定感を身につけられるのだろうと私は考える。
うーん。 なんて、いいこと言うイケメンだろう。 もしかして……天才?
(2019年のnoteの投稿を再構成しました)



