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デザインとアートの違い、期待値コントロール——「ポケモンは、スタバやジェラピケと何をコラボしたのか」

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ポケモンのグッズは、ポケモンセンターに行けばいくらでも買える。ピカチュウは笑っているし、ゼニガメはこっちを見ている。

スターバックスは、その顔を描かなかった。

僕のポケモン歴は、赤、ピカチュウ、オメガルビー、そしてPokémon GOにハマったくらいだ。ガチ勢ではない。ニワカだ。ただ、ポケモンが文化として体に染みついている世代ではある。

そして僕はファッションが好きで、キャラクターとのコラボも何度か買ってきた。そのたびに思うのは、絵を大きく載せただけのものは、服として着たいと思えないということだ。ニワカだからこそ、キャラクターより先に、服としての良さを見てしまう。僕がほしいのは、キャラクターの服ではない。キャラクターがいる、いい服だ。

だから今回のスタバのグッズも、まず道具としての良さで見た。僕の評価は、好意的だった。スタバの世界観に、ポケモンをそのまま置いても合わないとも思っていた。

それでも、賛否は大きく割れた。

先に結論を書く。これは絵の好き嫌いの問題ではない。30年間ずっと主人公だったファンが、はじめて観客にされた問題だ。そしてファンの期待値をコントロールできるのは、言葉ではなく、コラボの設計だけだ。

これは、ファンのいる商品を持つすべての事業者に、そのまま当てはまる。既存顧客のいるブランドも、人気作品とのタイアップも、Xでファンのいるアカウントも同じだ。

顔を描かない判断は、正しい

誤解のないように、反対側から書く。

スタバの判断は正しい。顔の描かれたかわいいポケモンは、すでに世の中に無数にある。スタバがわざわざ同じものを作る理由はない。キャラクターが前面に出たグッズは、大人が職場で使うには少し照れがある。顔がなく、色をアースカラーに寄せたからこそ、スタバの見せ方のルールであるトーン&マナーから外れずに、棚に置ける。

イラストを描いた一乗ひかるさんの判断も正しい。一乗さんは人物の顔を描かない作風で知られている。本人は、その理由を「かわいい・かわいくないという価値観にとらわれたくない」と語っている。絵の中のかわいい人と自分を見比べてしまう状況を生みたくない、という想いが根底にあるという。筋の通った、誠実な問いだ。

そして、批判に対して出てきた「嫌なら買わなきゃいい」という声も正しい。消費者として、反論の余地はない。

全員が正しい。それでも割れた。だから、構造を分解する価値がある。

何が起きたのか

事実を並べる。2026年9月24日、スタバとポケモンの初めての本格コラボが発表された。ポケモン誕生30周年の節目で、発売は9月30日からだ。

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告知はスタバだけでなく、ポケモン公式のXからも出た。ファンとブランドが接するタッチポイントのなかでも、いちばん太い場所だ。そこに30周年、初コラボという話題が重なり、期待値は最初から最大まで上がっていた。

中身は二つある。全国のバリスタから700件を超えるレシピ応募を集めた社内コンテストで優勝した「ピカチュウ ハニークリーム ラテ」と、一乗さんが全12種のアートを描き下ろした全41アイテムのグッズだ。シルエットと色でポケモンだと分かるように描かれているが、目や口といった表情は描かれていない。

マーケティングには、期待不一致という考え方がある。顧客の満足は、商品そのものではなく、事前の期待と実際に受け取ったものの差で決まる。期待が高いほど、少しのずれが大きな失望になる。

期待値が最大まで上がったところに、表情のないポケモンが届いた。反応は割れた。おしゃれなデフォルメがうれしい、全部ほしいという声がある一方で、よく見たらかわいくなくて驚いた、なぜポケモンの顔を消したのかという声が広がった。

その中に、「ポケモン側はOKなの?」という反応があった。この一言が、あとで効いてくる。

デザイナー本人は、何を語ったのか

スタバの公式メディアに、一乗さん本人のインタビューが載っている。批判する側も擁護する側も、ここを読まずに語っていることが多い。読むと、見え方がかなり変わる。

まず、一乗さんは、ポケモンもスタバもよく知らないまま、仕事として描いた作家ではない。初代が出た頃に小学生で、自由帳にポケモンを描いて育った。1000種類以上いるポケモンのほぼ全種にグッズがあるのは、どのポケモンにも必ずファンがいるからだと知って、さらに好きになったと語っている。同時に、多いときは週に5回スタバに通う常連でもある。ポケモンとスタバ、両方のファンだ。

次に、批判は予見されていた。ポケモンの表情が好きな人も多いから、顔を描くべきか迷う瞬間もあったと本人が明かしている。そのうえで、描かなかった。

そして、キービジュアルの緑の円は、最初は別の色だった。打ち合わせでスタバらしく緑にしてはどうかという話が出て、一乗さんは納得して変えた。個人の作品は自分の引き出しからしか出てこないが、クライアントワークは人と進めるから気づきがあって楽しい、とも語っている。

一乗さんは、背景の円の色を変えることには応じた。ポケモンの顔を描かないことは、譲らなかった。

そしてファンが反発したのは、円の色ではなく、描かれなかった顔のほうだった。コラボでアーティストが譲らなかった一点と、ファンが譲れなかった一点が、正面からぶつかった。

アートは相手をまたいで一貫し、デザインは相手ごとに変わる

この衝突を読み解くには、デザインとアートを分ける必要がある。

デザイナーのジョン・マエダは、デザインは問題への解答で、アートは問題への問いだと書いた。よく知られた定義だ。僕はこれを、もう一段実務に引きつけて、こう定義している。

  • デザイン:使う人の課題から始まる。相手ごとに表現を変える

  • アート:作り手の問いから始まる。相手が変わっても一貫する

どちらが上という話ではない。向いている方向が違う。デザインは相手に合わせることで価値が出て、アートは相手に合わせないことで価値が出る。

一乗さんは、どのクライアントの仕事でも顔を描かない。相手が変わっても変わらない一点がある。これがアートの核であり、作家の署名だ。

一方で緑の円は、相手がスタバだったから変わった。相手に合わせて表現を変える。これがデザインの判断だ。

一人の作家の中に、両方がある。そしてスタバが一乗さんを起用した時点で買ったのは、相手をまたいで一貫する側、つまり顔を描かないという署名そのものだ。顔がないことは、今回のグッズの副作用ではない。スタバが意図して選んだ中心だ。

ここで一つ、見落とされている点がある。一乗さんが語った顔を描かない理由は、人物についての理由だ。絵の中のかわいい人と自分を見比べてしまう、その苦しさを生みたくない。

だが、ピカチュウを見て自分と見比べる人はいない。ポケモンの顔は、比較の対象ではなく愛着の対象だ。キャラクターIPにとって、表情はブランドエクイティの中心にある。ブランドが30年かけて積み上げてきた資産価値の、いちばん大事な部分だ。

人を描く絵のために生まれた問いが、理由の届かない場所まで一貫して適用された。アートの物差しで見れば、この一貫性は誠実だ。デザインの物差しで見れば、この手法がポケモンを愛する使い手の何を解くのかが問われる。同じ判断が、物差しによって誠実にも欠落にも見える。

主人公は、ひとりしかいない

では、ファンは何に反発したのか。顔そのものではない。顔が消えたことで起きた、主人公の交代だ。

ポケモンというIPの設計を思い出してほしい。ゲームのポケモンでは、主人公はプレイヤー自身だ。自分で最初の相棒を選び、名前をつけ、育て、旅をする。ポケモンは最初から、遊ぶ人を当事者にするように作られている。僕がハマったPokémon GOに至っては、現実の街を歩く自分そのものが主人公になる。

一方で、スタバもまた当事者のブランドだ。従業員をパートナーと呼び、今回もバリスタバトルという社内コンテストでドリンクを生んだ。アートの物語も、5人のバリスタがポケモンと出会い、コーヒーを極めて大会を目指すというものだ。一乗さんは、ピカチュウの尻尾に合わせてバリスタの髪をギザギザにし、ゼニガメの甲羅とバリスタの肌の色を合わせた。共鳴したから似ていく、夫婦のようなイメージだという。

二つの当事者のブランドが組んだ。だが、ポケモンの隣に立つ主人公は、ひとりしかいない。今回その主人公を務めたのは、スタバのパートナーだった。

ポケモンのファンは、30年間ずっと主人公だった人たちだ。自分が主人公だったIPのグッズで、はじめて観客にされた。見知らぬ誰かとポケモンの絆を、外から眺める側になった。

スタバは、顔を描かないことで見る人が自分の感情を重ねられる余白が生まれると説明している。デザインでいうネガティブスペース、意図して空けた余白の考え方だ。僕は、これ自体には賛成する。説明しすぎたものは弱い。だが余白が効くのは、受け手の側に空いている場所があるときだけだ。

僕に効いたのは、僕の中にポケモンとの物語がまだ空いていたからだ。ニワカの僕にとって、ポケモンとの物語は飛び飛びだ。30年分の主人公としての物語は、書き込まれていない。だから余白は、そのまま余白として届いた。

ガチ勢は空いていない。最初に選んだ相棒も、何百時間の旅も、すでに書き込まれている。その人たちにとって、余白は重ねる場所ではなく、自分が主人公だった物語から外された跡に見える。

誰もが自分を重ねられるという設計は、まだ重ねる物語を持っていない人にしか効かない。

「買わなきゃいい」は、なぜ届かないのか

ここで、冒頭の正論に戻る。嫌なら買わなきゃいい。正しい。それなのに、批判する側にはまったく届かない。

マーケティング研究に、心理的所有感という概念がある。法的に持っていなくても、ある対象を自分のものだと感じる状態のことだ。子どもの頃から通う公園を自分の場所だと感じるように、ブランドや作品にも生まれる。そして、自分のものだと感じている対象を他人に変えられると、人は自分の領域を侵されたような抵抗を覚える。これがファン同士で共有されると、自分のものは我々のものになる。

当事者とは、対象を自分のものとして引き受けた人のことだ。ポケモンのファンは、30年かけてポケモンを引き受けてきた。しかもゲームそのものが、引き受けさせる設計になっている。

だからファンにとって、今回のグッズは買うか買わないかを選ぶ商品ではない。我々のピカチュウが、公式の名前で、顔のない姿で世に出たという出来事だ。

買わない自由はある。だが、それが世に出たことを拒否する自由はない。「買わなきゃいい」は購買の問題への正しい答えだが、ファンが抱えているのは購買の問題ではない。問いが違うから、正論が素通りする。

「ポケモン側はOKなの?」という反応は、この構造を正確に表している。怒りの宛先は、スタバではなくポケモン側に向いている。自分たちが預けている管理者は、これを許したのかと問うている。

ここには、所有と権限のねじれがある。ファンは当事者として、ポケモンを自分のものとして引き受けている。だが、決める権限はない。デザインを承認する手段も、差し戻す手段もない。当事者なのに権限がないとき、残る手段は声を上げることだけだ。

経済学者のハーシュマンは『離脱・発言・忠誠』で、不満を持った人の反応を三つの言葉で整理した。

  • 離脱:黙って去る。買わない、使わない

  • 発言:声を上げる。批判する、要望を出す

  • 忠誠:ロイヤルティ。不満があっても離れずにいようとする気持ち

そして、忠誠の強い人ほど、離脱ではなく発言を選ぶと論じた。「買わなきゃいい」は離脱を勧めている。だがポケモンから去るつもりのない人にとって、この商品を買わないことは離脱にならない。批判の強さは、当事者性の強さの裏返しだ。

ここまでが「なぜ割れたのか」で、ここからが「では、どう組めばよかったのか」だ。

ジェラート ピケは、どう組んだのか

比較にちょうどいい事例が、同じ月にある。ルームウェアブランドのジェラート ピケ(gelato pique)が、9月9日からポケモンとのコラボ第3弾を出している。同じ30周年の年に、同じポケモン公式のXからも告知された。

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中身を見ると、組み方がまったく違う。

ジェラピケは、ポケモンを形づくる要素に手を入れていない。耳、しっぽ、模様、そして進化。ピカチュウの耳を立体的につけたパーカがあり、進化の系譜を編み込んだニットがある。

では、何を変えたのか。プロダクトデザインには、CMFという考え方がある。形とは別に、ものの印象を決める三つの要素だ。

  • カラー:色。ブランドカラーや配色

  • マテリアル:素材。布、金属、樹脂、陶器など

  • フィニッシュ:仕上げ。つや、手ざわり、加工

ジェラピケが変えたのは、マテリアルだ。代名詞である、ふわふわのジェラート素材とベビモコ素材に、ポケモンを載せた。一方でスタバが変えたのは、カラーだった。ポケモンの色を、アースカラーに寄せている。

さらに、サイズ展開に進化を重ねている。キッズはピチュー、レディースはピカチュウ、メンズはライチュウ。体が大きくなるほどポケモンが進化する。レディースのピカチュウは、しっぽの先がハート型になったメスのピカチュウで表現されている。ゲームを遊んだ人にしか気づけない細部だ。

ポケモンの仕組みそのものを、ブランドの仕組みに翻訳している。そして、耳のついたパーカを着る人は、ポケモンを眺める側ではない。なりきる側、つまりポケモンの世界の当事者の側に置かれる。

ここに、ブランド同士が組むコ・ブランディングの原則が一つ見える。

互いの譲れない一点が別のレイヤーにあるとき、コラボは共存する。同じレイヤーに重なったとき、衝突する。

ジェラピケの場合、ポケモンの核である姿かたちには手を入れず、ジェラピケの核は素材に置いた。レイヤーが違うから、どちらも譲らずに済んだ。

スタバの場合、ポケモンの核のひとつは表情にあり、一乗さんの核は顔を描かないことにある。どちらも顔という同じレイヤーの上にあり、二つの核がそこで重なった。どちらかが譲るしかなく、今回はポケモンの側が譲る形になった。

スタバの世界観にポケモンをそのまま置いても合わない。これは変わらない。変換は要る。問題は、どのレイヤーを変換したかだ。

カラーをアースカラーに寄せた判断は、うまくいっている。物語をコーヒーの冒険にした。これもスタバらしい。

ただ、顔のレイヤーだけは、ポケモンの核そのものがある場所だった。そこを変えたうえで、物語の主人公をバリスタにした。二つが重なったことで、ファンが自分を重ねる場所がなくなった。

では、ポケモンはスタバやジェラピケと何をコラボしたのか。ジェラピケとは、ポケモンの姿と進化の仕組みを、ジェラピケの素材と組み合わせた。スタバとは、コーヒーではなく、バリスタが主人公の物語と、顔を描かない一乗さんのアートを組み合わせた。前者はファンを当事者のまま残し、後者はファンを観客にした。

どの顧客を狙うべきだったのか

僕の結論を言う。スタバのターゲティング、つまり狙う顧客層の選び方は、間違っていない。

スタバに日常的に通い、職場でタンブラーを使い、ポケモンは好きだが顔の大きいキャラクターグッズは持ち歩きにくい大人。この層を一人の人物像まで絞ったペルソナで言えば、僕のようなニワカのポケモン好きだ。この人にとって、今回のグッズは他では手に入らない選択肢になる。

では、何が足りなかったのか。すぐに浮かぶのは、狙いを言い切ることだ。職場のデスクに置ける、大人のためのポケモン。そう宣言していれば、ガチ勢は自分向けではないと読めたのではないか。

僕も最初はそう考えた。だが、ここまでの話を踏まえると、言い切るだけでは防げない。理由は二つある。

ひとつは、ガチ勢の多くも、もう大人だということだ。一乗さん自身がそうであるように、初代を遊んだ子どもは、いまスタバに通う大人になっている。大人のためと言われれば、むしろ自分たちのことだと受け取る。

もうひとつは、ファンが抱えているのが購買の問題ではないということだ。自分向けではないと理解しても、我々のピカチュウが顔のない姿で世に出たという事実は消えない。

ポケモンの核に手を入れた時点で、賛否は言葉では消せない。

ファンの期待値は、言葉ではコントロールできない。コントロールできるのは、どのレイヤーを変えるかだけだ。

賛否を避ける方法は、一つしかない。ジェラピケのように、相手の核には手を入れず、自分の核を別のレイヤーに置くことだ。それをしないなら、割れることを引き受けるしかない。

スタバは、引き受けるほうを選んだ。それでいい。一乗さんの署名を買った以上、顔を描かない判断は外せない。外せば、スタバがこのコラボをやる意味がなくなる。全員に好かれるポケモングッズなら、ポケモンセンターにすでにある。

ただし、引き受けるとは、賛否が出ることまで含めて選ぶ覚悟のことだ。出す前に、割れることを織り込んでおく。そして割れたあとに、揺れない。

批判を受けて顔のあるデザインを慌てて足せば、顔がないから選んだ大人の顧客を裏切ることになる。相手ごとに出すものが違うのは、矛盾ではない。だが、同じ顧客に向けた約束が途中でぶれるのは、本物の矛盾だ。

一乗さんには、その覚悟があった。顔を描くべきか迷ったうえで、描かなかった。迷わずに選んだのではない。迷ったうえで選んだ。覚悟とは、そういうものだ。

顧客として狙わないことと、当事者として扱わないことは別だ。割れることを引き受けるとは、狙わなかった当事者の声を、想定外の事故ではなく、選んだ結果として受け止めることでもある。ファンのいる商売で相手の核に手を入れるなら、割れることは設計の一部だ。

では、どうするべきか

順序で書く。コラボでも、新商品でも、既存ファンのいるアカウントの方向転換でも、やることは変わらない。

一つ目。相手の譲れない一点が、どのレイヤーにあるかを書き出す。シルエットか、表情か、色か、素材か、物語か。ファンが愛着を結んでいる場所を特定する。

二つ目。自分の譲れない一点が、どのレイヤーにあるかを書き出す。組む作家やパートナーがいるなら、その人の署名がどこにあるかも書く。

三つ目。二つが重なっていないかを確かめる。重なっているなら、どちらかの核を別のレイヤーに移す方法を探す。ジェラピケが、ブランドの核を素材に置いたように。

四つ目。重なったまま進むなら、割れることを先に引き受ける。誰を主人公にするかを決め、主人公にしなかった当事者の声は、選んだ結果として受け止める。そして、割れたあとに揺れない。

用に即する美

民藝運動を率いた柳宗悦は、美への道には美術と工藝の二つがあると言い、工藝においては「用のみが美を生む」と説いた。毎日使う道具の美は、使われることの中にしかない。

ただし柳の言う用は、機能のことだけではない。使う人の心に仕えることも、用に含まれる。だから模様も色も形も、心への用として必要になる。

タンブラーは道具だ。道具の美は、使う人の心に仕えるかで決まる。そしてポケモンのグッズにとって、使う人の心に仕えるとは、その人を主人公にすることだ。

ポケモンの主人公は、ずっとファンだった。

僕がこのグッズを好意的に見られたのは、僕の中にポケモンとの物語がまだ空いていたからだ。すでに主人公として生きてきた人の前に、何を置くか。ファンのいる商売の設計は、そこから始まる。


サムネイル出典:スターバックス公式ウェブサイト(https://stories.starbucks.co.jp/press/2026/pr-2026-0924/)

全文完
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